昨日は幻に終わったレヴァイン、今日は幻でなかったレヴァインの話。
昨年はキャンセルにより、ベルリンでナマのレヴァインに「ご対面」することはなかった。思い起こしてみると、レヴァインの棒を見たのは、1988年のメトロポリタン・オペラ(MET)来日公演の《ホフマン物語》だけだったと思う。
このときは、《ホフマン物語》、《イル・トロヴァトーレ》、《フィガロの結婚》の3演目で来日。そのうち《フィガロ》以外の2つを観た。(あの時はお金があったのかなぁ…??) レヴァインは《ホフマン》を振ったが、はっきり言って、その指揮ぶりはほとんど記憶にない。題名役のドミンゴに目も耳も奪われていたので。
どちらかと言うと、プロダクションとしては《トロヴァトーレ》のほうが印象的。ジュリアス・ルーデル(ルデール)の指揮、アプリーレ・ミッロのレオノーラ、フランコ・ボニゾッリのマンリーコ、コソットのキャンセルで代役に立ったエレナ・オブラスツォワのアズチェーナだった。ボニゾッリのちょっとダサい動き(と言うかダサいスタイル)とよく通る声のアンバランスが面白かった。
レヴァインは、1971年のMETデビューから、今年が40周年になる。指揮者には長命が多いので、今年68歳になる彼はまだ若い方である。2006年にピーター・ゲルブが総支配人(総裁)になって以来、METではさまざまな改革が断行されている。ちょうど2年前のNHK「クローズアップ現代」で、国谷キャスターがMETを訪れてゲルブにインタビューしていた(2009年1月26日放送)。リーマンショックの影響で、METも相当経営が厳しいらしい。
グスタフ・マーラーがウィーン宮廷(国立)歌劇場を辞してMETへ移ったのが1907年。長女を失ったうえに自身も心臓を患い、失意のうちに渡米したが、それは、とんでもない高給を提示されたことが大きかったらしい。 翌年若きアルトゥーロ・トスカニーニもMETに着任し、METは3年間、マーラーとトスカニーニという豪華な二枚看板で売った。ふたりの確執も相当なものだったようだが。やはり、マーラー研究のうえでも、METへはいつか行かなければ…。 来日公演(MET2011年来日公演公式HPはこちら)はいかにも高すぎる…。
[終わり]