循環形式とは、「多楽章形式の楽曲において、1つあるいはそれ以上の主題素材(多くは冒頭部分)が、複数のあるいはすべての楽章にあらわれて、楽曲全体に統一感をもたらしているもの。シューベルトの《さすらい人幻想曲》などがその例」(音楽之友社『新編 音楽中辞典』p.316、項目執筆者・木村佐千子、2002年)。
私の場合、「循環形式」というと真っ先にセザール・フランクの《交響曲 ニ短調》を思い浮かべる。とりわけ、ジュリーニとベルリン・フィルによる端正な演奏が好きだ。このCDが発売された1987年、待ってましたとばかりに購入したものである。(当時はCDの価格相場3,500円もしたが、今ネットで見たら、まったく同じもののが定価1,200円、実質1,000円以下にディスカウントされている!)
この交響曲では、全曲を通して3つのモティーフが変容をともなって循環していくが、その過程でニ短調による深刻な苦悩の主題は、第3楽章に至って輝かしい歓喜の主題にバトンタッチする。循環形式というと、私はいつも「輪廻転生」の語を連想してしまう。音楽の場合、確かに「死ぬ」ことはないが、循環形式のモティーフは姿を変えて繰り返し「よみがえる」。
私を取り巻く人間関係は、まるで循環形式を思わせるような出会いの連続であった。これを「ご縁」と言うのだろう。
(1)担任の循環形式:娘二人の担任としてお世話になった小学校の先生
先生は公立校には極めて珍しく、定年までの14年間異動しなかった。私が聖徳大学のクラス担任をもったときに入学した筋向いの家のお嬢さんは(そのことだけでけでも驚きなのに)、小学校5~6年生のときに、その先生が担任だった。私が保護者会などで学校へ行くと、先生は「山本さん、・・・」と、ひとしきりしゃべったあとで、必ず口調を変えて、「山本先生、○○はちゃんとやっているでしょうか?」とお尋ねになった。立場の逆転だ。本当に悪いことは出来ない。
(2)教員生活の循環形式:娘たちが高学年のときの副校長
副校長先生は、なんと私の小学校5~6年のときの隣のクラスの担任だった。副校長として隣接校から異動してきたときには、ホント仰天した。私が5年生のときには新卒採用。私はその先生と仲良しだったので、卒業時にもサイン帳に記念の言葉を書いていただいた。それが、娘たちの学校の副校長として定年を迎えたなんて! ひとりの先生の教員生活の最初と最後に立ち会うなんて普通ありえない。本当に悪いことは出来ない。
(3)教員の立場の循環形式:小学校に設置された特別支援学級の先生
娘たちの小学校には特別支援学級が設置されていた。次女の音読発表会があったとき、「お母さんたちからも感想をお願いします」と求められたが誰も発言しないので、私がマイクを持って褒めてあげた。すると、会の終了後、いつもニコニコしている見慣れた先生が「山本先生!」と私に呼びかけ近づいてきて、「私、先生の授業履修しました。今のお声で気づきました!」 ---どこかで見たことがある人だななあ、と日頃から思ってはいたが、非常勤で教えていた大学のコア科目「芸術I」を担当していたときに履修してくれていたそうだ。またもや立場の逆転現象が起きた。本当に悪いことは出来ない。
(4)世代の循環形式①:長女の隣りのクラスの担任
現在中3の娘は2年生のときから4組だ。5組の担任に社会を担当してもらっている。この先生、私の高校の同級生! 娘の中学入学以来、その学年に所属していたのだが、私はまったく気づかなかった。30年ぶりに行なわれた高校の同級会に出席して初めて知りびっくりした。以来、保護者会などで中学校へ行ったときに出くわすと、どんな言葉遣いをしたらよいのか、しどろもどろに会話を楽しんでいる。ちなみに、娘の今のクラスには、これまた高校時代のクラスメイトの姪もいれば、夫の中高時代のクラスメイトの娘もいる。奇跡的で、本当に悪いことは出来ない。
(5)世代の循環形式②:修士論文を指導した大学院生
声楽の院生があるとき、「先生! 私の母が、先生のことをよく知っているそうです」と、なんとも恐ろしげな言葉。でも、話を聞いてびっくりした。そのお母さんというのは、私が声楽を専攻していた学部時代のピアノ伴奏者だったのだ! 名字が違うのでまったく気づかなかった。中間演奏会のとき、「お母さん」とも再会した。本当に悪いことは出来ない。
中学に入学したとき、公立からやってきた少数派の私は、音楽の時間に、附属小学校から上がって来た周りの生徒たちのソプラノリコーダーに目を奪われた。プラスチック製のリコーダーを使う私を尻目に、皆、こげ茶色の木製高級楽器を演奏しているではないか。「ここの小学校は何と高級な音楽の授業をしているんだろう!」と驚いたのをまざまざと思い出す。聖徳に着任してわかったのは、あのときの木製リコーダーの仕掛け人、すなわち附属小学校で教えていたのが、音楽教員養成コースの泉靖彦先生だったのである。
みんなが木製リコーダーを使っていた中学の音楽の時間には、作曲や編曲がしばしば課題になり、壁中に作品としての楽譜が張り出されていた。昨年音楽教員養成コースの着任された松井孝夫先生は、その音楽の先生の「後任」! ああ、私もクラス合唱したかったな…。泉先生といえ、松井先生といえ、私と思い切り「ニアミス」していたことになる。本当に悪いことは出来ない。
-------------------------------------------------------------------------------------
私の人生にこれほど多くの「循環形式」が潜んでいるとは思いもよらなかった。フランクの交響曲のように自信に溢れた勝利の響きがめぐってくるといいなあ…。
[終わり]