聖徳大学の卒業式では、毎年、式典の最後に卒業生が《仰げば尊し》を荘厳に歌う。壇上の百数十名の教員はじっとそれに聴き入り、送別の歌として《蛍の光》を返す。厳粛な時間が流れる…。
昨秋出版された、東大(本郷)の渡辺裕先生による『歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ―』(中公新書)では、卒業式の歌をめぐる問題が社会的・文化的コンテクストを踏まえて論じられており、実に面白い。毎日新聞に掲載されたコラムを集めた渡辺先生の『考える耳―記憶の場、批判の眼―』(春秋社、2007年)は、一昨年の「総合音楽研究」のテキストに 使い、音楽について考え、論じ、書く、というトレーニングの材料にしたが、この本も読みやすい文体で書かれており、学生にお薦めしたい。
「第四章 卒業式の歌をめぐる攻防」の概略は以下の通りである。
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最近の卒業式では《旅立ちの日に》(←クリックするとYouTube)が主流であり、民主的な学校教育の現場に《仰げば尊し》はふさわしくないとの判断から、後者は少数派に甘んじている。しかし、両者は新旧論争の二項対立で捉えられるべきではない。なぜなら、中学校の現場で誕生した《旅立ちの日に》は、卒業生が歌うことを念頭に作られたものではなく、教師側から生徒へのはなむけの歌だったのであり、両者はバックグラウンドが違うのであって同じ土俵で比較すべき性質の曲ではないからである。
そうしたなか、2005年に放映されたテレビドラマ「女王の教室」は、それまでの「古い仰げば尊し」vs.「新しい旅立ちの日に」の図式を逆転させるほどのインパクトを世の中に与えた。つまり、舞台となった小学校が公式に《旅立ちの日に》を用意したのに対し、児童たちが天海祐希演じる強烈な個性を持った教師に向かって自主的に《仰げば尊し》を歌ったのである。このドラマにより、《仰げば尊し》が新たなコンテクストの中で再解釈され、新たな表象を獲得した。《仰げば尊し》の「大逆襲」と言えるのではないか。
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さて、私はプライベートで3年前と昨年に小学校の卒業式を経験し、この3月に今度は中学の卒業式に参列する。3年前は《旅立ちの日に》だった。20年前の1991年に作られたこの曲が、丁度そのころマスコミに頻繁に取り上げられ、SMAPがテレビコマーシャルで歌ったことで脚光を浴びているさなかだったので、「ああ、ご多分にもれず、これを歌うのね」という程度の思いだったが、実際に儀式の中で耳にするとかなり感動的だった。そのときは、「2年後もこの曲だろう」と思い込んでいたら、昨年はなんと《仰げば尊し》だった! 子どもたちは皆「女王の教室」を見て育っている・・・すわ、《仰げば尊し》の逆襲か? しかし、式に出てわかった。確かに《仰げば尊し》を子どもたちは歌ったが、この曲は30分に及ぶ「巣立ちのことば」を構成するひとつの演出であったのだ。
その日、「卒業の歌」は別にあった。《流れゆく雲を見つめて》---音楽教員養成コースに昨年4月に着任された、われらが松井孝夫先生 が作詞・作曲した名曲だ。松井先生と言えば、今や20代以下の日本人のほとんどが歌った経験のある《マイ バラード》(←クリックすると松井先生自身のピアノによるYouTube)の作詞・作曲者として有名だが、残念なことにたった10ヶ月前の当時、まだ松井先生と面識がなかったので、子どもたちの合唱もさらりと聞き流してしまった。(今となっては悔しいが。) あとになって、中学生になった娘と家で何度二重唱したことか!
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《流れゆく雲を見つめて》(←クリックするとYouTube)
松井孝夫 作詞・作曲
過ぎし日 思い出して
涙があふれてきた
いくつもの場面が
心をかけめぐる
みんなで 力あわせ
ひとつのことを なしとげた
けんかをしたことも
今ではなつかしい
※流れゆく雲を見つめて
ぼくは 今
はてしなく続く
明日(あした)への夢をいだく
いつまでも忘れない
かけがえのない青春よ
とても楽しかったあのころ
胸にひめて
※繰り返し
いつまでも忘れない
なつかしい思い出たち
心のささえとして
明日を生きてゆく
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《旅立ちの日に》は、秩父市立影森中学校の現場の先生が作ったものだが、現在、私たちが知っている合唱曲に仕立ててくれたのは、他でもない、編曲を担当した松井孝夫先生だ。あのピアノ前奏が始まると、条件反射のように、春の柔らかい陽射しを浴びて、卒業生が巣立ってゆく情景を思い浮かべる。渡辺裕先生の著書では編曲のことは触れられていないが、《旅立ちの日に》を卒業ソングの定番に導いたのは、間違いなく、松井孝夫先生の功績である。
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-----トピックス終わり-----
この3月に保護者として参列する卒業式で歌われるのは《仰げば尊し》である。おそらく私はもう自身の体験として《旅立ちの日に》を直接耳にすることはないだろう。
《仰げば尊し》を自らの卒業式で歌った記憶のない私は、いったい何を歌ったのか。練馬区立石神井小学校の卒業式で歌ったのは、《ひとつのこと》だった。
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《ひとつのこと》 斉藤喜博作詞・遠矢良英作曲
いま終わる ひとつのこと
いま越える ひとつの山
風渡る 草原(くさはら)
響き合う 心の歌
桑の海 光る雲
人は続き 道は続く
遠い道 はるかな道
あす登る 山も見定め
いま終わる ひとつのこと
いま終わる ひとつのこと
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この拙文を書きながらネット検索したら、簡易ピアノによるメロディーがヒットした。残念なことにYouTube動画はなかったが、思わず一緒に大きな声で歌ってしまった。伴奏部分の手もひとりでに動く。弾けと言われれば、すぐにも伴奏を弾けそうなので、今度楽譜を探すことにしよう!
[終わり]
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松井孝夫 (土曜日, 22 1月 2011 21:20)
こんばんは。ブログを拝見させていただきました。
今日、作曲者の高橋(旧姓坂本)浩美先生から訃報を
お聞きしたところでした。お酒を飲んで帰宅して、そのまま
お風呂に入って、そこで心筋梗塞になってしまったようです。残念でなりません。2月の2週目くらいに「題名のない音楽会」で放映される収録をついこの前したとのことでした。ご冥福を祈ります。